かさいのひとりごと

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おやすみ、ニュータウン

先日、原付でふらふら走って京都まで行った。
何しに行ったかは覚えていない。
なんとなくまたがって、なんとなくアクセルを吹かしたんだと思う。

その帰り道。
いつも通る道と違う道を通ってしまった。
何度も京都へ原付で行ってるけど、今だに正しい帰り道を知らない。
きっと、帰り道に興味がないんだろう。
それはさておき。

道の途中。
とあるニュータウンに行き着いた。
さびれたニュータウン。

時刻は夕方の少し手前。
空模様は軽い曇天。
ちょっとフィルターがかかったような、そんな色身の空の中。
同じ窓、同じ物干、同じ室外機が置かれたベランダがずらっと並んでて。
建物内の住人同士が入れ替わってもたぶん不自由無く暮らせるんじゃないかというくらいとにかく整った景色で。
同じものがずっと続いてる風景が、なんとなく永遠(というか死)を感じさせるようで。
なんだか少し悲しくなった。
あの感情はなんだったんだろうか、今になってはわからない。
ニュータウンの入り口に大きな看板があったんだけど。
電球が切れたままになってて、それがなんとも健気な感じで。
雨にも風にも夏の暑さにも負けずに電球が切れたまま立ってたんだなって同情した。
いや、看板を誉めたくてこれを書いてるんじゃない。
時間が色あせて行く感じ。
これを感じた。
それを書き残そうとしてるんだと思う。
時代はどんどん作り出しては消費して行く。
無邪気だと思う。
僕はそれが嫌いだ。
乾電池みたいに、使い切ったらハイおしまい。
そんなのは嫌いだ。
必ず死ぬのに使い切られないように必死になる。
なんだか悲しい。
(これをかっこいいと言えない自分は…。)

12月だったから寒くて。
すぐにニュータウンを後にした。
バックミラー越しに何度も見た、振り返った。
後ろ髪を引かれるような、引き込まれるような引力があって。
感受性を少し揺すられたわりに、逃げるように帰った。

感謝します。
ありがとう、ニュータウン。
でもあなたから逃げました。
ごめんね、ニュータウン。
僕に力を貸してください。
おやすみ、ニュータウン。
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